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2011年7月 8日 (金)

台湾で就活

元上司のお誘いを受け、いざ台湾までやって来ました。

俺にとっては初めての台湾ですが元上司は10年以上も台北で暮らしていたので何の不自由もなく台北市内まで到着!

そして現地企業の経営者との面会するわけですが実はこの方、倒産した元勤務先の非常勤役員みたいなこともしていた方で何度か面識もある方です。
ちなみに日本語はペラペラ

到着したその日は仕事の話はほとんどせず、お決まりのウェルカム接待を受けます。
ψ(`∇´)ψ

中華料理店でニンニクと油の聞いた台湾料理を喰らい、カラオケ(といっても日本のカラオケボックスのようなものではなくどちらかというとキャバクラみたいな飲み屋)へGO
とっても楽しい空間です(*^m^)

飲み屋のおねーちゃん相手にマレーシア時代に覚えた中国語を試したい俺は一生懸命北京語を使おうとしますが、相手の話が全然聞き取れません orz

こっちがしゃべることは理解はしてもらえているようですが、非常に美しい発音でべらべらしゃべられると全然ついていけず、英語交じりのマレーシアンチャイニーズに教わった俺は軽くショックを受けます。

でも若くてきれいなおねーちゃん達が次から次へと相手をしてくれますのであっという間に時間は過ぎていきました。

翌日は軽く台北市内を観光
当時(今も?)台湾にはパチンコ屋があり、打ちはしませんでしたが見に行った覚えがあります。
日本から輸入した台のプログラムを改造した超ギャンブル台だそうです。

さて、本来の目的の就活ですが、2日間かけてその経営者が所有するグループ企業を次々と見学しました。

その中にソフトウェア関連の部門があり日本人の技術者として俺を雇ってくれるとのことでした。
どうやら元上司が俺のことを大袈裟に売り込んだみたいです。

無事に3泊4日の就活旅行を終え帰国

現地の経営者はうちで働くならいつでもウェルカムみたいなことを言ってくれ、 職種も待遇も大変魅力的な話でしたが悩んだ挙句この話はお断りすることに...

あの頃の俺には十分すぎるほどの波乱万丈な海外生活を終えたばかりで、再び波乱万丈人生へ飛び込む勇気がありませんでした。

正直な気持ち、今あのときに戻れるなら戻って台湾で仕事がしてみたいと思います。
つまり後悔しているということです。

もしも、このブログを読んでいる若い方で同じような選択で悩んでいる方がおられましたら俺は言いたい!

迷わず行けよ!行けばわかるさ!

2011年6月29日 (水)

国際カップル誕生

えーと半分勢いでローカルガールフレンドの話題を書いてしまったので続きをどのように持っていこうか思案中です(^^)

海外生活もほぼ終盤戦となってはじめてローカルのガールフレンドができたわけですがこのとき既にそんなに長くはマレーシアにはいないことを予想していました。

付き合う前に彼女にはその旨伝えましたが、その時が来たら一緒に考えるということで交際がスタートしたと記憶しています。

お互い一人暮らしなので、Hちゃんは夕飯を作ってくれたりしました。(*^.^*)

彼女の家に行くと日本で録画して持ち帰ってきたと思われる日本のTV番組を見せられることが多かったです。
何故か志村けんが出演している番組ばっかり (・_・)???

彼女は英語が苦手だったので会話は日本語と中国語をミックス
彼女の日本語は俺の中国語とレベルは同じくらいかそれ以上だったかなぁ

当時はマレーシアやシンガポールは地元並に慣れ親しんでいたので意識はありませんでしたがお互いに言葉を教え合って、今思うと典型的な国際カップルでしたね

以前の記事にも書きましたが、すでに現地化していた俺の風貌は中国系の彼女を得てますます中国人っぽくなっていったと思います。

言葉もそこそこしゃべるんで中国系マレーシアンの人からみると俺は中国系シンガポーリアンだと思われることがほとんどでした。

どんなに日本語が上手な中国人や韓国人に出会ってもしゃべるとたいていアクセントとかで外国人だということはすぐに判断できるのにマレーシアとか多民族国家だど言葉がおかしいのは気にならないのかなぁ?

朝青龍くらい日本語が上手だと全然バレませんけど当時の俺の中国語がそんなに流暢なはずはないのに。。。不思議です。

彼女はアパレル系の店員をしていたため、売上貢献という意味もあり、やたら服を買ったり貰ったりしました。

そんな幸せな日々が続くこと数か月、会社の生産は軌道に乗りはじめて俺の任務はほぼ完了し、いよいよ帰国する日が迫ってきます。

2011年6月24日 (金)

いよいよ帰国?

昨日の記事の続きです。

ある程度、会社の整理が落ち着き我が社の製品は別の企業に引き継がれることになりました。

現地人スタッフも一部を除いて解雇、日本人スタッフも大半は帰国しました。

この頃には日本の本社はほぼ解散状態となっており、ささやかな退職金も受け取っていました。

両親が日本各地を転勤していたので海外赴任前から一人暮らしをしていた俺の場合、日本での社会的身分は「住所不定無職」です。

次々と日本人スタッフが帰国する姿をみてそれまで全くといっていいほどなかった望郷の念が俺の中で生まれ始めます。

一応シンガポール支社はまだ解散しておらず現地法人からの給料は貰っていましたがもはや会社としては何の拘束力もなく日本へ帰りたければ帰ればいいし、もうちょっと居たければ何らかの仕事はあるという状況でした。

俺は我が社の製品を引き継いだ会社の手伝いみたいな業務をこなしていましたが、その会社から「うちの社員として働かないか」というオファーをいただきます。

望郷の念が芽生えはじめた俺はちょっと迷いましたが、日本に帰っても仕事はないし、何より帰っても住むところから探さなくてはならないということもあったのでとりあえずその会社にお世話になることにしました。

こうして終わりと思われた海外生活もう少しだけ延長されることになります。

次回は本当に最終回となりそうです。

2011年6月21日 (火)

各国の治安

今回は自分が感じた各国の治安について書いてみます。
20年前のことなので現在は状況が変わっていると思います。

○シンガポール
とっても治安の良い国だと感じました。
凶悪事件の発生率は日本の地方都市並みじゃないかなぁ

治安が云々の話ではありませんがシンガポール(マレーシアも同様)は麻薬に対する処罰が厳しいので入国時に変な人から荷物を預かったりしてはいけません。万一預かった荷物に麻薬の類が入っていて見つかるとかなりの確率で死刑になってしまいます。

○マレーシア
アメリカや中東に比べればはるかに良いと思いますが、日本やシンガポールと比べるとかなり悪いです。
凶悪事件に巻き込まれることは稀だと思いますが、タクシー料金のぼったくりとかには注意が必要です。
いかがわしい場所はたくさんありましたのでそういう場所には日本人だけでは近づかない方が無難です。

マレーシアで遭遇したトラブル

(1)自宅に泥棒
一軒家を借り日本人2人で住んでいたのですが、昼間仕事に出かけている間に空き巣にやられました。
金額的に大した被害はありませんでしたが、窓が壊されたり、衣類が盗まれることに。。。

(2)自宅に泥棒パート2
同じ家での出来事ですが再び泥棒に襲撃されます。
今度は空き巣ではなく夜中に寝ている間に泥棒が家に入ってきたのです。

妙に蚊が多いなぁと思って目が覚めたら部屋のドアが全開(?)
起きて部屋の外にでると玄関のドアも全開(°°;)

慌てて同僚を起こし被害状況を確認

今回は家にいたので持ち合わせの現金や腕時計等が盗まれました。
同僚はカバンごと盗まれて中にパスポートとかが入っていたので大変!

人的被害はありませんでしたが自分が寝ている部屋に犯人が入ってきて脱ぎっぱなしのズボンのポケットから現金を盗んでいったという事実に大変驚きました。もっと早く目が覚めていたら犯人と接触する可能性もあったと思うと非常に怖かったです。

その後ガードマン付きのコンドミニアム(マンションみたいな集合住宅)に引っ越すことになりそこではそのようなトラブルに巻き込まれることはありませんでした。

いずれのケースも地元の警察が来て現場検証みたいなことはしましたがそれ以上犯人捜しをするような気配はありませんでした。

○オランダ
オランダ(といっても自分が住んでいた地方都市)も治安は悪くはないと思いますが日本の感覚では安全に生活はできません。
アムステルダムなどの都会は日本と比べるかなり治安は悪いのではないかと思います。

オランダでの遭遇したトラブル

(1)車上荒らし未遂
車を所有していましたが、車にはカーステが装備されています。(ごく普通ですよね)
ちょっと違うのが、当時のヨーロッパのカーステは着脱式になっていました。
装着したまま車を離れるとカーステが盗まれてしまうので車を離れるときは外して持ち歩くのです。
用心深い(というか面倒くさがりじゃない)人はスーパーの駐車場なんかでもそれ(カーステを外して持ち歩く行為)を実施しています。

自分は甘かったので自宅以外はつけっぱなしでしたがある日、自宅の駐車場でも取り外すのを忘れました。
翌日、車に乗ろうとすると運転席のドアの鍵が壊されていてドアが開きません。
なんじゃっこりゃーと思いましたが、すぐにカーステ置きっぱなしが原因だと気づきました。
幸いドアをこじ開けることができなかった模様で盗まれたものはありませんでしたがドア鍵の修理代としばらくの間助手席から乗り降りするハメになった精神的苦痛が大きかった orz

(2)痴漢?(なんと表現していいのかわかりません)
ある日、一人でドライブに出かけて高速のパーキングみたいなところで休んでいたところ見知らぬ男が近づいてきて俺に向かってなにか話しかけてきます。
なんだろ?と思って窓を開けたとたんその男が俺の股間目掛けて手を伸ばしてくるではありませんか(驚)
びっくりして一瞬固まってしましたよ!
何すんじゃい!と思って男をみるとその野郎チ○ポ丸出し Σ( ̄□ ̄;)

怖くなって慌てて車を発進させて逃げたので実害はありませんでしたがもうテンションだだ落ち.・゜゜・(/。\)・゜゜・.

もしかしたら、あのパーキングは「そういう趣味の輩が集まる場所なのか?」とも思いました。
オランダ人の友人に聞けば教えてくれそうだけど恥ずかしさとショックで誰にも報告(相談)できませんでした。

外国で事件に巻き込まれると何かと面倒ですので興味本位での軽率な行動は控えた方が無難ですね!

2011年6月14日 (火)

中国語奮闘編

話は第二次マレーシア勤務時代です。

マレーシア工場は社内で最大の生産拠点となり、生産量に比例して次から次へと問題が発生し、多忙な毎日を過ごすこととなります。

オランダ時代はツーリングやスカッシュなど健全な趣味を満喫していたのですが、あまり娯楽もない途上国ではもはや「飲みに行くこと」が趣味と化していました。(^-^;

1年も経過するとすっかり地元のような感覚になり、そうすると外見も変わってくるのか一見では日本人には見えない風貌になっていたようです。

飲み屋の女の子なんかは普通に中国語で話しかけてきたので日本人だと伝えると「全然見えない」と驚かれることが多々。。。

イスラム教徒はアルコール摂取は禁止されていますので、現地の飲み仲間は必然的に中国系の友人になります。そんな環境も幸いしたのか、英語のときほど必死に勉強はしませんでしたが、なんとなく中国語が理解できるようになっていました。

そしてちょっとづつ飲み屋で中国語を使い、通じるとうれしくなって機会があれば積極的に中国語を使い始めるようになります。

会社の若い衆(中国系のマレーシア人)とよく晩飯を食ってそのまま飲みに行ったりしました。
会社では英語しか使わないのに夜の世界では何故か中国語で会話するようになり、それが楽しくてまた飲みに。。。の繰り返し

当時は飲み屋のホステスにとっては「日本人=たくさんお金を使ってくれるとってもいい客」
という方程式で日本人であるというだけでモテました。
(↑モテているというのかどうかは疑問でもありますが)

街では英語が通じるとはいっても飲み屋のホステスをしている女の子なんかは英語は得意じゃない子もたくさんいしたが、そういう子にとっては多少なりとも中国語がわかる日本人は絶好の客でありモテ度も全然違います(^-^)

相手の目的はどうであれ若い女の子にチヤホヤされて悪い気はしませんし、他の日本人に大きな差(何の差だw)を付けれるということもありこのような不純な動機でどんどん中国語が上達していきました。

マレーシア(とシンガポール)で使われる中国語について
中国語には色々な種類があるのですが自分が学んだのは一番基本の北京語です。現地では「華語」と呼ばれていました。
中国本土では「国語」と呼ばれていると思います。
ほとんどの中国系の人は北京語プラス何かしらの方言を話せます。
シンガポーリアンは福建語、マレーシアンは広東語の割合が多かったと思います。

ちなみに一番のお気に入りだった女の子はクアラルンプール出身で広東語使いでした。
(↑どうでもいい情報)

こんな調子で帰国する直前にはかなり上達した感があったのですが、それは自分の勘違いで英語と中国語をごちゃまぜで使っていたようです。

これは後に台湾に行ったときに思い知らされました。
それから「話せるけど、書けない&読めない」状態でした。
これが早々に忘れてしまう原因だったのかもしれません。

教訓:男は女にモテるためなら何でもできる(^^)

ではっ!

2011年6月11日 (土)

マレーシアの食事情

先日の記事でマレー料理は基本的に辛いと書きましたが、もちろん他のジャンルのものもあります。

○日本食
当時、ジョホバルには日本食レストランが一軒あり、正統派の日本食が食べれました。
衛星状態はまったく問題なくデリケートな人でもここなら問題ないでしょう。
値段は現地の一般と比べると10倍くらいしたと思います。
初めて赴任したときは週2くらいのペースで通ってましたが、現地に慣れると通う頻度は少なくなっていきました。

○洋食
ショッピングモールのテナントみたいな感じで営業している屋内のレストランがありました。
こちらも衛生状態は問題ないと思います。
一応、洋食屋さんなのでステーキとかもありましたが、中華やマレー料理も提供していました。
ファミレスみたいな感じですね!
値段は一般の5倍程度だったかな?

○マクドナルド、ケンタッキー
ファーストフードも衛生状態は良好です。しかも安い!
記憶があいまいですがハンバーガー1個、40円くらいだったと思います。
ファーストフードで気を付けなければならないのが、日本でトマトケチャップに相当するものはマレーシアではチリソースとなっています。
黙っているとポテトにはチリソースがついてくるので辛いのが苦手な人は間違えて食べないように注意が必要です。

○中華料理レストラン
レストランといっても当時のジョホバルには半分屋外営業の屋台みたいなのしかなかった気がします。(自分はそういうところしか行きませんでした。)
衛生状態はあまりよくありませんが、会社のカフェテリアよりはマシでした。
値段も安く、非常に美味しかったので晩飯は屋台で食べる確率80%を超えてました。

○マレー料理レストラン
こちらも屋外営業のやつです。
先日の記事に書いたとおり、辛い、汚い、でも安いってな感じです。
(表現が悪くて申し訳ありません)
有名なマレー料理はナシゴレン、ミーゴレン、サテーとかですね
どれも美味しいです。
自分は全然平気でしたけど、拒絶する人もいたので、デリケートな人はダメかもしれません。

○インド料理レストラン
インド系の友人に一度だけ連れて行ってもらいました。
とても日本人だけで行ける雰囲気のお店ではありませんでしたがマニアックなカレーが好きな人にはオススメです。
ヤシの葉の上にご飯と超本格インドカレーを盛ってもらえます。
当然ですが素手で食べることになります。
調理したてのカレーを素手でつかむと意外と熱いので覚悟が必要です。

では

2011年6月10日 (金)

ちょっと一息

ちょっと休憩ということで昔の写真を探してみました。

デジカメなんてなかった時代ですのでスキャン画像ですが、画像アップの練習ということで(^^)

オランダ時代に乗っていたBMW318i

Img_0002

オランダ人に「日本人なのに何で日本車買わないの?」なんてに言われながらも憧れのドイツ車オーナーに(^^)

会社に出入りしていた業者のオランダ人がホンダのCR-Xを新車で買って見せびらかしに来たなんてこともありました。
日本人にとってはCR-Xは驚くほどのものではありませんが、オランダ人のスタッフはみな羨望の眼差し
当時(今もそうかもしれませんが)海外ではトヨタや日産よりホンダの方がブランドイメージが高かったです。

そしてバイク
ホンダ CB900F、超お気に入り

Img_0001

日本ほど治安が良くないのでアパートの地下にある駐輪場へ運ぶわけですが、重い車体を地下通路で引き回すのが大変でした。

マレーシア時代に乗っていたプロトンウィラ

Img_0003

納車後1週間ほどで左フェンダーをバイクに擦られました。
現地では擦ったくらいじゃ、いちいち弁償するなんて文化はありませんので当然そのままに...

2011年6月 9日 (木)

アメリカ&メキシコ編

時系列的にはちょっとタイムスリップしますが今回はアメリカ&メキシコ編です。

最初の記事でアメリカに2ヶ月居たと書きましたが大半はメキシコにいました。

アメリカ西海岸の南部にサンディエゴという町があるのはご存じの方も多いと思います。
サンディエゴから車で1時間半ほど東へ移動したところにエルセントロという町がありそこに会社の事務所があったんです。

事務所はアメリカですが、工場はメキシコにあり、第一次マレーシア勤務時代と同じく平日はメキシコ(ホテルではなく会社の寮でした)週末はアメリカという生活でした。

実は何故メキシコ勤務を命じられたか不明です。
当初東南アジアでの生産開始の目処が立ったらオランダへ転勤という予定だったのですが、オランダの会社設立が予定より遅れていたため俺の行き場がなくなり、仕方がないので「ちょっくらメキシコに行って勉強して来い」ってことだったのだのかもしれません。(はっきりそうは言われませんでしたが、任務はメキシコ工場の手伝いみたいな内容でした。)

アメリカとメキシコの国境はもちろん入国審査があります。
印象としてはメキシコに入国する際にはほぼフリーパス、アメリカに入るときはすごく厳重なチェックがされていたように思います。

パスポートチェックはもちろんですが、アメリカ入国時は車のトランク、車両の下とかも鏡を使って念入りに調べていました。おかげでメキシコ側はいつも大渋滞です。

滞在予定は2か月
マレーシアとは違ってメキシコではまったく英語が通じません。

たったの2か月で言葉も通じない国で何かしらの成果がでる仕事ができるわけでもなく、はっきりいって暇でした。
まさに給料泥棒状態です。(大変申し訳ありませんでした>>当時の上司様)

メキシコでの食生活
会社の寮に日本人3人で暮らしていたので朝と夜は日本食を自炊

昼は会社の前にタコスの屋台が来るのでほぼ毎日タコスを食ってました。
1個$1(US$)くらいだったと思います。
メキシコの通貨はペソですが、この町ではUS$も使えていたと記憶しています。

タコスの皮の部分は小麦粉系とトウモロコシ系(こっちはトルティーヤと呼んで
いた気が...)から選択できるのですが、自分は小麦粉系の方が好みでした。

具もいろんなレパートリーのなかから選べました。摂氏40度の炎天下で食べるタコスもなかなかいけたもんです。

メキシコは床屋が安いということである日床屋に行ったのですが、全く言葉が通じず身振り手振りでお願いして20分くらい無言で座って髪をきってもらったなんてこともありました。結果は意外とまとも(v^_^)

週末にアメリカへ戻らずメキシコのストリッ○ショーを見に行ったこともありました。
テキーラを飲みながらワクワクドキドキw
演技(?)が始まると同時に段々暗くなっていき最終的には真っ暗に...
なんも見えんじゃんかー(笑)

メキシコ時代の一番の思い出なのですがラスベガスまで遊びに行ける機会がありました。
すでに長期滞在していた同僚が前々からラスベガス旅行を計画をしていて運よくそれに便乗することに!

これがちょっとした珍道中
同僚が運転する車でラスベガス目指して深夜に出発
途中、砂漠のなかの一本道、車が故障したらそのままのたれ死ぬんじゃないかと思うくらいまわりにはサボテンと砂しかありません。

ネバダ州に入る直前にぬぁんとスピード違反で警察に停止を求められます。
どこで見張っていたのかわかりませんが突然パトカーが現れました。
もしかするとヘリコプターとかで巡視していたのでしょうか?

アメリカで運転するときは前後左右だけじゃなく上空も確認しないとダメ?
というのは冗談でみなさん法令速度は守りましょう!

これからギャンブル旅行なのに幸先悪いなぁなんて言いながら同僚は車を止めます。このとき同僚に「職務中の警察官の命令に背くと撃たれる可能性があるので勝手に車から降りたりポケットに手を入れたりしないように」と忠告されました。

この同僚、メキシコ在住が長くスペイン語は話せるのですが英語は俺の方が得意です。

警官 「車をもっと路肩に寄せろ!」
同僚 「???」
警官 「なんだ、日本人かよ、面倒くせぇの捕まえちまったなぁ」

このやりとりを聞いていた俺はあえて通訳はせず、全員英語がわからいフリを通すことにしました。

すると

警官 「免許証とパスポートをだせ、お前らも(俺ともう一人の日本人に向かって)」
俺 (ひぇー、たかがスピード違反でパスポート没収するのかよ、ラスベガス行けなくなるじゃん)

警官はパスポートをチェックしてすぐに返してくれました。
そして、メモ用紙に「時速40マイルで運転せよ」と書いて提示しそのまま去っていきました。

言葉が通じないやつを相手にするのが面倒くさかったみたいで、運良く無罪放免となったのです。

そしてひたすら運転すること8時間(だった思う)、無事ラスベガスに到着

ネオンの馬鹿さ加減に圧倒され、それまでの人生最大のハイテンションだったかもしれません。
メインはカジノでの遊んだりライブを見に行ったり、ほとんど寝ないで遊びまくりました。

ホテル代やらカジノの負けその他もろもろ2日で$1000くらい使いました。
ちなみに当時のレートは$1 = 約\150だったと記憶しています。

メキシコでは言葉が通じないので同僚にお世話になりっぱなしの2ヶ月でしたが、ロサンゼルスのディズニーランドやハリウッドにも観光に行くことができ貴重な体験をしました。

ではまた!

2011年6月 8日 (水)

新車購入記@マレーシア

今回はマレーシアを拠点に家を借りて生活です。(前回は半年間ホテル住まい)

車はなくても生活はできますが数年は居住する予定でしたし、この頃にはすっかり海外生活に慣れていて行動範囲を広げてエンジョイするためにはマイカーは必須です。

マレーシアもバイクの免許に排気量制限とかはないと思いますが、バイクに乗ろうという気は全くありませんでした。

理由は道路状況が悪いしドライバーの運転マナーも悪いので安全にバイクに乗れるような環境ではなかったからです。

調べたわけじゃないけど大型バイクのような贅沢品は車両価格も相当高いでしょう

そして一年中、真夏の日本と同じ気温なのでそんな暑いなかバイクは乗ろうとは思いませんでした。

当時のシンガポールとマレーシアのマイカー事情を少々

シンガポールは政府の政策(?)で輸入車には膨大な関税がかかり、車の所有に多額の権利金のようなものが必要です。
狭い国なので交通渋滞を緩和させる目的だそうです。

トヨタカローラは新車で日本円換算の600万以上じゃなかったかと記憶しています。
ホンダアコードは1千万近かったと思います。(いずれも権利金を含めた価格)

そんな国なのにベンツが沢山走ってましたのでシンガポールはお金持ちだらけですね(^^)

運良く(?)マレーシアに拠点をおくことになった俺はマレーシアのビザを取得し、車を購入することができたのでシンガポール組よりははるかに安く入手できます。

権利金がない分シンガポールよりは安く買えましたが、それでも日本車は日本の価格の倍以上します。

そこで目を付けたのがプロトンという会社の自動車です。

マレーシアでは三菱自動車が技術支援をして国産自動車を生産していたんです。それがプロトン社

早速中古車屋に行って価格交渉、日本円換算で120万円位だった(と思う)のでそれを購入しました。

足代わりなんでなんでも良かったのですが、半年くらい経ったある日、日本から新しい赴任者がやってきました。
なんと自分より年下の後輩じゃありませんか!

ちょうどプロトン社が新型を発売した直後で、俺は自分の車をその後輩に売りつけ自分は新型を入手するという計画を遂行!

最初に中古車を買った車屋さんに行き、ここで新車が買えるかどうか尋ねるとOKだとの事
価格は交渉した結果57000マレードル(当時の日本円換算で230万くらいです。高っ!)
でもまぁ、新車だし、中身はほとんど三菱ミラージュだったので購入を決めると大きな問題が!

大変な人気で納車は半年後になるとのこと(なんじゃそりゃー!)
もう後輩に売ること決めちゃったし半年も待てません!

迷ってる俺に車屋さんがアドバイスをくれました。
「60000ドル出せば、1週間で納車できるよ」
「くっそー足元見やがって」と思いましたが新車欲しいモードに入った俺は申し出を了承し60000ドルで購入することになります。
車は約束どおり1週間以内に納車されました。

車屋さん曰く「来週納車予定の他の客と交渉して、その車両をあなたに回すからそのため交渉料だ」みたいなことを言ってましたが、本当のところはわかりません。

このとき購入した車が
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%A9
です。

ではまた次回まで!

2011年6月 6日 (月)

ヨーロッパ諸国漫遊モード

諸国漫遊と書いてびっくりぱちんこ水戸黄門の諸国漫遊モードを思い出したのでタイトルを「~編」ではなく「モード」にしてみました。(^^)

オランダ時代はここぞとばかりに色々な国へ遊びにいきましたねぇ

○ドイツ
車で1時間くらいのところにデュッセルドルフという大きな町があってよく遊びに行きました。
ここには日本人が多く在住していて日本食レストランや日本の食材を扱っているスーパーなんかもあり行くたびに毎回2万円分くらいの食材をまとめ買いしてましたね

本社から短期出張者がくるとお手軽観光コースはケルン大聖堂
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%B3%E5%A4%A7%E8%81%96%E5%A0%82

ドイツの高速道路(アウトバーン)は速度制限がなく(本当にないのかな?)
少なくても自分が使っていた区間はみんなすごい飛ばしていたので法令違反はしていないつもりでしたが...

自分のBMWが180Kmくらいで分解するんじゃね?ってくらいビビりまくりでハンドル握ってるのにポルシェがヒュンと一瞬で抜いていくなんてことが多々ありました。

○ベルギー
日本との往復は「成田ーベルギー」便をメインで利用していたので本社からの出張者を迎えに行くためによく行きました。

ブリュッセル(ベルギーの首都)の空港まで車で2時間くらいだったかな?

あとバイクツーリングはベルギーが多かったです。

ブリュッセルの街中はそうでもないですが高速のパーキング(ガソリンスタンド)みたいなところは以外と英語が通じない国です。

些細なことですがパーキングでコーヒーを頼むとき「アン カフェ」(コーヒー1杯)と言ったらちゃんと通じてとても嬉しかったw
ちなみに「カフェ オ レ」もちゃんと通じましたww

○フランス
長めの連休があったとき車でパリまで遊びに行きました。
片道600Kmくらいかな?自分のBMWじゃ疲れるしせっかくなので社用車のベンツを借りてロングドライブ!
世界的な観光地でもあるのでとても楽しい街です。

○イギリス
オランダのロッテルダムという港から船でイギリス(ロンドン)へ
事前に物価が高いと聞いていましたが、その通りでした。
一泊二日の日程で一通りの有名どころを駆け足で回って、船で帰国
めっちゃ疲れた記憶がありますが、こちらも楽しい街です。

○スペイン
仕事で1度だけバルセロナへ行きました。
自宅からアムステルダムの空港まで車で3時間半、それから飛行機でバルセロナへ
深夜に到着して翌朝から仕事で2泊3日だったと思います。
観光する余裕はなかったのでまた仕事で行けるチャンスを狙っていたのですがそれっきりに(残念)

○オランダ
オランダに住んでいながら、あんまり観光した記憶がない(汗)
でも風車があるところ(地名忘れた)まで行ったり、アンネの日記の家とかは行きました。
あとゴッホ美術館とか...

余談ですが、自分が在住していたときに隣町に帝京大学の分校(?)が設立されそこに日本人の女の子がたくさんやってきたのでお友達探し(世間ではナンパと呼ぶ)にも行きました(笑)

その時知り合った子とは自分がオランダを去った後、連絡先を教えたら何度か返事をもらったりもしたのですが、今は交流はないです。